一昨年亡くなった叔母の形見の腕時計が3ヶ月ぶりにオーバーホールから帰ってきました。MOERIS(モーリス)
というスイスのメーカーの製品で、一時は懐中時計や腕時計が日本にもずいぶん輸出されていたようです。1970
年頃他社ブランドに合併吸収されているため、現在このブランド名はありません。
製造年代は今の所不明ですが、可愛らしい時計なのでオーバーホールする事にしました。家内と娘で大切に使って
もらえたら嬉しい限りです。

PEN E-P5/DR Summicron 50mm F2

ルビー輝く内部のメカニズム。娘が時計屋さんでi Phoneで撮影した画像をPhotoshopでいじってみました。
というスイスのメーカーの製品で、一時は懐中時計や腕時計が日本にもずいぶん輸出されていたようです。1970
年頃他社ブランドに合併吸収されているため、現在このブランド名はありません。
製造年代は今の所不明ですが、可愛らしい時計なのでオーバーホールする事にしました。家内と娘で大切に使って
もらえたら嬉しい限りです。

PEN E-P5/DR Summicron 50mm F2

ルビー輝く内部のメカニズム。娘が時計屋さんでi Phoneで撮影した画像をPhotoshopでいじってみました。
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久しぶりに MY FAVORITE THINGS カテゴリーの記事です。今回は私の大切なトランクの話です。
およそ40年前、私が高校生の時だったと思います。横浜は石川町。駅前の運河に浮かぶ小屋掛けされた艀(はしけ)
でギャラリーを営まれている方がいらっしゃいました。もともとは元町のビルにあった画廊が移転したもので、木造の
キャビンの中は全て白いペンキで塗られていたと記憶しています。
そのギャラリーで廊主が所持品の蚤の市のような催しをされた事があって、私も何か良いものがありそうだと思って
覗きに行き、そして古い革製のトランクと羅針盤を買って帰ってきました。
このトランクはコードバンのような滑らかな皮で張られていて、4本の木製のリブで補強された頑丈な作りで、大き
さも重さもかなりのもでした。この中に羅針盤を放り込んで、いくら若いからと言って一体家までどうやって持って帰
ってきたものか。昔の貧乏高校生がタクシーに乗るはずもないので、まあ担いで持ってきたんでしょうね。
帰ってから部屋に戦利品を並べてためつすがめつしている内に、トランクに貼られた荷札に目が留まりました。とい
うのも、この荷札自体煤ぼけてしまってはいるもののある程度記載事項が読み取れそうだったからです。そして早速そ
の解読にとりかかりました。若い頃なので老眼に煩わされる事もなく、簡単なルーペでだいたいの事が読み取れました。
内容は、
1935または1955年のどちらか(はっきり読み取れません)に
ロンドンの「ロイヤル・アルバート・ドック」から横浜に向けて送られた荷物であり
荷主は MADAME がつく誰か(名前は判読不能でした)
船名は S.S.HAKUSANMARU
でした。
この荷札の内容にはとても興味が湧きました。ロンドンから日本へ・・・Madameを冠する人物という事は当然女性
です。英語圏でMadame〜と呼ぶのは英米人以外の外国人(とりわけフランス人)でしょうが、このトランクの持ち主
は一体どんな女性だったのでしょう?そして HAKUSANMARU というのはどんな船だったのでしょう?
黄昏時が近づいた薄暗い部屋の中で、見も知らぬ船の姿や船旅の様子を想像しながら、私は大きなため息をついたも
のです。
さて、やがてそのラベルの事も忘れて30年ほど経った多分2003年頃、家内と横浜市内を散歩していた時に、海岸
通りにある日本郵船の建物に「日本郵船歴史博物館」というのができているのに気がついたのです。入ってみると館内に
は過去に活躍した数々の船の模型や写真パネルが飾られていました。それを見た瞬間、あのトランクの事が思い出され、
「これはひょっとすると HAKUSANMARU に会えるかもしれないな」という予感のようなものが頭をよぎりました。そ
して展示パネルの一角に飾られた貨客船「白山丸」の、写真の中の姿ととうとう対面する事ができたのです。
今だったら「はくさんまる」と入力してクリックすればたちどころに情報が得られますが、私がトランクを入手した当
時は当然インターネットなんてものはありませんでした。そして(推定)2003年の時点まで、私がその事を失念して
いてネット検索しなかった事にもむしろ感謝しています。ネット検索で出合うより、博物館でばったり出合う方が遥かに
ドラマチックですからね。
そのトランク、この10年余はずっとロフトにしまい込んでいたのですが、先日久しぶりに引っ張り出してみた所残念
な事に大切な荷札の半分近くが劣化して剥がれ落ちてしまい、一部紛失してしまっている事がわかりました。それで内容
を覚えているうちに記事にしておこうと思いこの記事を書きました。

YASHICA YE で撮影したトランク。大型スーツケースより一回りは大きいです。

剥がれ落ちた荷札の一かけらがロフトの床に落ちていました。「HAKUSANMARU」と「October」の一部が読み取れます。

まだトランクに残っている部分からは年号と「YOKOHAMA」 の文字が読み取れます。
ウィキペディアで拾った白山丸の写真です。
白山丸は1923年に進水した日本郵船船籍の貨客船で、スエズ運河経由の横浜〜ロンドン航路に就航していました
が、第二次世界大戦時には日本海軍に徴用され、砲座を設えたりして大変危険な任務を遂行したそうです。1943年
には2度に渡って爆撃の憂き目に遭いますがなんとか持ちこたえます。ですが結局は1944年の6月4日、硫黄島西
南海域で、米潜水艦の魚雷によって炎上沈没する運命を辿ります。この時には民間人を含む乗員の半分、324人が犠
牲になったそうです。
この辺りの壮絶な事情はウィキペディアにかなり詳しく書かれていますので興味のある方は検索してみて下さい。

1943年11月のラバウル空襲で被爆炎上中の白山丸(右奥、同じくウィキペディアから)
私が絵のモチーフにでもしようかと思ってお気楽な気持ちで買ってきたトランクでしたが、そのトランクををロンド
ンから横浜へと運んでくれた白山丸は、後にこのように悲惨な最後を遂げた船だったのです。トランクを手に入れた当
時、そんな事は思いもよりませんでした。それを知った時には戦争の悲惨さに改めて胸が塞ぎ重くなるのを禁じ得ませ
んでした。
ところで沈没年代がわかった事でこのトランクが海を渡ったのは1935年だという事がわかりました。1935年
というのも調べてみると大変な年です。ヒトラーのヴェルサイユ条約破棄と再軍備宣言、イタリアのエチオピア侵攻、
溥儀の靖国参拝、揚子江の氾濫(20万人死亡)、等々。第一次世界大戦からわずか17年しか経っていないのに、世界
が再びその影を色濃く落とし始めた大戦への予感に鬱々としていた時代です。そんな時代にイギリスから日本へ、見知
らぬMadam と共にこのトランクは海を渡ってきた訳です。その後どういう変遷を経てあの艀の画廊で売りに出される
事になったのかわかりませんが、私が手に入れたのも何かの縁なのでしょう。これからはなるべく大切にしてやろうと
思い、書斎の吊り棚の下に納まってもらう事にしました。
そうそう、旅の出発点、ロイヤル・アルバート・ドックの事についてもふれようと思って忘れてしまいました。でも
長くなりすぎるのでこれくらいにしておきます。もしも最後まで読んで下さった方がいらしたら深く感謝致します。

およそ40年前、私が高校生の時だったと思います。横浜は石川町。駅前の運河に浮かぶ小屋掛けされた艀(はしけ)
でギャラリーを営まれている方がいらっしゃいました。もともとは元町のビルにあった画廊が移転したもので、木造の
キャビンの中は全て白いペンキで塗られていたと記憶しています。
そのギャラリーで廊主が所持品の蚤の市のような催しをされた事があって、私も何か良いものがありそうだと思って
覗きに行き、そして古い革製のトランクと羅針盤を買って帰ってきました。
このトランクはコードバンのような滑らかな皮で張られていて、4本の木製のリブで補強された頑丈な作りで、大き
さも重さもかなりのもでした。この中に羅針盤を放り込んで、いくら若いからと言って一体家までどうやって持って帰
ってきたものか。昔の貧乏高校生がタクシーに乗るはずもないので、まあ担いで持ってきたんでしょうね。
帰ってから部屋に戦利品を並べてためつすがめつしている内に、トランクに貼られた荷札に目が留まりました。とい
うのも、この荷札自体煤ぼけてしまってはいるもののある程度記載事項が読み取れそうだったからです。そして早速そ
の解読にとりかかりました。若い頃なので老眼に煩わされる事もなく、簡単なルーペでだいたいの事が読み取れました。
内容は、
1935または1955年のどちらか(はっきり読み取れません)に
ロンドンの「ロイヤル・アルバート・ドック」から横浜に向けて送られた荷物であり
荷主は MADAME がつく誰か(名前は判読不能でした)
船名は S.S.HAKUSANMARU
でした。
この荷札の内容にはとても興味が湧きました。ロンドンから日本へ・・・Madameを冠する人物という事は当然女性
です。英語圏でMadame〜と呼ぶのは英米人以外の外国人(とりわけフランス人)でしょうが、このトランクの持ち主
は一体どんな女性だったのでしょう?そして HAKUSANMARU というのはどんな船だったのでしょう?
黄昏時が近づいた薄暗い部屋の中で、見も知らぬ船の姿や船旅の様子を想像しながら、私は大きなため息をついたも
のです。
さて、やがてそのラベルの事も忘れて30年ほど経った多分2003年頃、家内と横浜市内を散歩していた時に、海岸
通りにある日本郵船の建物に「日本郵船歴史博物館」というのができているのに気がついたのです。入ってみると館内に
は過去に活躍した数々の船の模型や写真パネルが飾られていました。それを見た瞬間、あのトランクの事が思い出され、
「これはひょっとすると HAKUSANMARU に会えるかもしれないな」という予感のようなものが頭をよぎりました。そ
して展示パネルの一角に飾られた貨客船「白山丸」の、写真の中の姿ととうとう対面する事ができたのです。
今だったら「はくさんまる」と入力してクリックすればたちどころに情報が得られますが、私がトランクを入手した当
時は当然インターネットなんてものはありませんでした。そして(推定)2003年の時点まで、私がその事を失念して
いてネット検索しなかった事にもむしろ感謝しています。ネット検索で出合うより、博物館でばったり出合う方が遥かに
ドラマチックですからね。
そのトランク、この10年余はずっとロフトにしまい込んでいたのですが、先日久しぶりに引っ張り出してみた所残念
な事に大切な荷札の半分近くが劣化して剥がれ落ちてしまい、一部紛失してしまっている事がわかりました。それで内容
を覚えているうちに記事にしておこうと思いこの記事を書きました。

YASHICA YE で撮影したトランク。大型スーツケースより一回りは大きいです。

剥がれ落ちた荷札の一かけらがロフトの床に落ちていました。「HAKUSANMARU」と「October」の一部が読み取れます。

まだトランクに残っている部分からは年号と「YOKOHAMA」 の文字が読み取れます。

白山丸は1923年に進水した日本郵船船籍の貨客船で、スエズ運河経由の横浜〜ロンドン航路に就航していました
が、第二次世界大戦時には日本海軍に徴用され、砲座を設えたりして大変危険な任務を遂行したそうです。1943年
には2度に渡って爆撃の憂き目に遭いますがなんとか持ちこたえます。ですが結局は1944年の6月4日、硫黄島西
南海域で、米潜水艦の魚雷によって炎上沈没する運命を辿ります。この時には民間人を含む乗員の半分、324人が犠
牲になったそうです。
この辺りの壮絶な事情はウィキペディアにかなり詳しく書かれていますので興味のある方は検索してみて下さい。

1943年11月のラバウル空襲で被爆炎上中の白山丸(右奥、同じくウィキペディアから)
私が絵のモチーフにでもしようかと思ってお気楽な気持ちで買ってきたトランクでしたが、そのトランクををロンド
ンから横浜へと運んでくれた白山丸は、後にこのように悲惨な最後を遂げた船だったのです。トランクを手に入れた当
時、そんな事は思いもよりませんでした。それを知った時には戦争の悲惨さに改めて胸が塞ぎ重くなるのを禁じ得ませ
んでした。
ところで沈没年代がわかった事でこのトランクが海を渡ったのは1935年だという事がわかりました。1935年
というのも調べてみると大変な年です。ヒトラーのヴェルサイユ条約破棄と再軍備宣言、イタリアのエチオピア侵攻、
溥儀の靖国参拝、揚子江の氾濫(20万人死亡)、等々。第一次世界大戦からわずか17年しか経っていないのに、世界
が再びその影を色濃く落とし始めた大戦への予感に鬱々としていた時代です。そんな時代にイギリスから日本へ、見知
らぬMadam と共にこのトランクは海を渡ってきた訳です。その後どういう変遷を経てあの艀の画廊で売りに出される
事になったのかわかりませんが、私が手に入れたのも何かの縁なのでしょう。これからはなるべく大切にしてやろうと
思い、書斎の吊り棚の下に納まってもらう事にしました。
そうそう、旅の出発点、ロイヤル・アルバート・ドックの事についてもふれようと思って忘れてしまいました。でも
長くなりすぎるのでこれくらいにしておきます。もしも最後まで読んで下さった方がいらしたら深く感謝致します。

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正解は「電気あんか」でした。
お答え下さった方々、本当にありがとうございました。

この電気あんか、50年ほど前に祖父が愛用していました。ちょっと不格好ですが木箱の丸み感が好きで捨てられずにしまってあります。
木製の箱の中に入っているのはコイル状に巻かれたニクロム線とバイメタル、それにヒューズくらいだったと思います。

コードはもっと渋い色だったと思うのですが一度修理で交換してもらっているようですね。

ナショナル製。通電すると確かこのダイヤル部分がボーッと薄明るく光っていたような。
60ワットしかないので暖まるには時間がかかったろうと思いますが、そういえば冬の夕方、早々と寝床の支度をしてこのあんかを入れて準備していたような気がします。今はショートしそうで通電できませんが一度メンテに挑戦してみたい気もします。
お答え下さった方々、本当にありがとうございました。

この電気あんか、50年ほど前に祖父が愛用していました。ちょっと不格好ですが木箱の丸み感が好きで捨てられずにしまってあります。
木製の箱の中に入っているのはコイル状に巻かれたニクロム線とバイメタル、それにヒューズくらいだったと思います。

コードはもっと渋い色だったと思うのですが一度修理で交換してもらっているようですね。

ナショナル製。通電すると確かこのダイヤル部分がボーッと薄明るく光っていたような。
60ワットしかないので暖まるには時間がかかったろうと思いますが、そういえば冬の夕方、早々と寝床の支度をしてこのあんかを入れて準備していたような気がします。今はショートしそうで通電できませんが一度メンテに挑戦してみたい気もします。
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性懲りもなくクイズです
「下の写真、一体なんでしょう?」
お答えお待ちしています。できましたら非公開コメントでお願い致します。
ヒント:寒~い夜に活躍するものです。写真の左の方にもヒントが・・・
なお例によって正解されても景品は出ません。悪しからずご了承下さい。

「下の写真、一体なんでしょう?」
お答えお待ちしています。できましたら非公開コメントでお願い致します。
ヒント:寒~い夜に活躍するものです。写真の左の方にもヒントが・・・
なお例によって正解されても景品は出ません。悪しからずご了承下さい。

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2日間待ちましたが解答者ゼロ、と思ったのですが、さる方からメールでお答えを頂きました。ありがとうございました。
お答えは「時計では?」という事でした。私も時計が入っていたらいいなあと思ったのですが残念ながら時計ではありません。
正解は「棒はかり」でした

蓋をずらして開くとこのようになっています。本体と錘(おもり)がきれいに納められていてちょっと感動的。一昨日の写真でぼかしを入れた箇所に二百匁の文字が書かれています。二百匁まで量れるはかりということですね。
では早速使ってみる事にしましょう。以前にも使ってみようと思って試してみたらどうもうまく目盛りが読み取れませんでしたが、今回ブログにアップしてしまったので必死に解読に勤めたところ大変な事に気づきました。
今時の常識では目盛りというのは左から右へ増えていくのですが、実はこれが逆だったのです。
以前は左手で支点をつまんで右手で錘をずらしていたのですが支点をつまむのが右手だった訳ですね。

この棒はかりには支点が2箇所あります。測る物を載せるお皿に遠いところ(支点A)と近いところ(支点B)です。支点Aは軽いもの、支点Bはより重い物を測る時に使います。目盛りは棒の両面に刻まれていてそれぞれ尺度が異なり、A,Bそれぞれの支点に対応しています。あとお皿の上部にはフックもついていて、お皿に載らないような形状の物を吊るす時に使うのでしょう。
さて、理屈はだいたいわかったのでお皿の上に重さ20グラム余りのキンカンを2粒置いてみました。
軽い物なので支点Aを使います。錘を動かしてバランスのとれる位置に調整します。

バランスをとるのはなかなか微妙でちょっと慣れが必要ですが、釣り合ったところで錘の糸が指している目盛りを読むと11.5匁となっています。1匁は3.75グラムなので11.5×3.75=43.125グラムとなります。どうやらだいたい合っていそうです。
次に支点Bを使ってもう少し重い物を量ってみましょう。ここでこの棒はかりの優れた工夫が物を言います。
下の写真をご覧下さい。棒の端についているお皿を吊っている紐が180度可動するようになっているのです。
さらにもう一つ下の写真をご覧頂くと納得して頂けると思いますが、棒をはさんで上下反対に取り付けられたどちらの支点も無理なく使う事ができ、棒の裏表に刻まれた尺度の異なる目盛りを常に慣れた同じ手の動きで錘を動かしながら読み取る事ができる訳ですね。

なんだか美しささえ感じてしまう棒の先端。

支点Bを使ってレンズの重さを量ってみました。

キンカンの時と反対面に刻まれた目盛りは尺度が違って1匁の幅がぐっと狭くなっています。
釣り合ったところで目盛りを読むと96匁。
96×3.75=360グラム
早速キッチンはかりで量ってみますと、ピタリ360グラム ! 感動の一瞬でした。
ところでこの棒計り、家内の父方の祖父の持ち物だったそうです。
戦後家内の祖父は家内の父を伴って生糸の仲買をやっていたらしいのですが、このはかりで繭の重さを量って価格を決めて取引をしていたそうです。でもある時荷車一杯の生糸をだまし取られて商売は失敗。家内の祖父は田舎に戻り父は奥さんの実家の商売を手伝う事になったのだとか。
一つの小さな道具に秘められたありがちなエピソードでした。
最後まで読んで下さった方がいらしたらお礼申し上げます。
お答えは「時計では?」という事でした。私も時計が入っていたらいいなあと思ったのですが残念ながら時計ではありません。
正解は「棒はかり」でした

蓋をずらして開くとこのようになっています。本体と錘(おもり)がきれいに納められていてちょっと感動的。一昨日の写真でぼかしを入れた箇所に二百匁の文字が書かれています。二百匁まで量れるはかりということですね。
では早速使ってみる事にしましょう。以前にも使ってみようと思って試してみたらどうもうまく目盛りが読み取れませんでしたが、今回ブログにアップしてしまったので必死に解読に勤めたところ大変な事に気づきました。
今時の常識では目盛りというのは左から右へ増えていくのですが、実はこれが逆だったのです。
以前は左手で支点をつまんで右手で錘をずらしていたのですが支点をつまむのが右手だった訳ですね。

この棒はかりには支点が2箇所あります。測る物を載せるお皿に遠いところ(支点A)と近いところ(支点B)です。支点Aは軽いもの、支点Bはより重い物を測る時に使います。目盛りは棒の両面に刻まれていてそれぞれ尺度が異なり、A,Bそれぞれの支点に対応しています。あとお皿の上部にはフックもついていて、お皿に載らないような形状の物を吊るす時に使うのでしょう。
さて、理屈はだいたいわかったのでお皿の上に重さ20グラム余りのキンカンを2粒置いてみました。
軽い物なので支点Aを使います。錘を動かしてバランスのとれる位置に調整します。

バランスをとるのはなかなか微妙でちょっと慣れが必要ですが、釣り合ったところで錘の糸が指している目盛りを読むと11.5匁となっています。1匁は3.75グラムなので11.5×3.75=43.125グラムとなります。どうやらだいたい合っていそうです。
次に支点Bを使ってもう少し重い物を量ってみましょう。ここでこの棒はかりの優れた工夫が物を言います。
下の写真をご覧下さい。棒の端についているお皿を吊っている紐が180度可動するようになっているのです。
さらにもう一つ下の写真をご覧頂くと納得して頂けると思いますが、棒をはさんで上下反対に取り付けられたどちらの支点も無理なく使う事ができ、棒の裏表に刻まれた尺度の異なる目盛りを常に慣れた同じ手の動きで錘を動かしながら読み取る事ができる訳ですね。

なんだか美しささえ感じてしまう棒の先端。

支点Bを使ってレンズの重さを量ってみました。

キンカンの時と反対面に刻まれた目盛りは尺度が違って1匁の幅がぐっと狭くなっています。
釣り合ったところで目盛りを読むと96匁。
96×3.75=360グラム
早速キッチンはかりで量ってみますと、ピタリ360グラム ! 感動の一瞬でした。
ところでこの棒計り、家内の父方の祖父の持ち物だったそうです。
戦後家内の祖父は家内の父を伴って生糸の仲買をやっていたらしいのですが、このはかりで繭の重さを量って価格を決めて取引をしていたそうです。でもある時荷車一杯の生糸をだまし取られて商売は失敗。家内の祖父は田舎に戻り父は奥さんの実家の商売を手伝う事になったのだとか。
一つの小さな道具に秘められたありがちなエピソードでした。
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Author:naoggio
横浜でオーダー家具のお店をやっています。このブログは仕事と関係のない日々のスナップや過去の写真、また大好きな蝶の写真を中心にアップしていきます。家具に興味のある方はリンクトップの会社ホームページにも是非遊びにいらして下さい。
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