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日々のスナップ、風景、そして蝶の写真など

naoggio写真日記

          前回の続き。池上の本門寺通りの脇道でこんなお店が目に入った。中華料理「博雅」。なんで大田区の池
         上に博雅があるのだろう?と咄嗟に思ったのだが、その訳を以下で説明しておく。写真のお店とは全く関係
         ない記事になってしまったがご容赦願いたい。

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         <OLYMPUS OMD E-M1Ⅱ/ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO>

          10年以上横浜にお住いの方なら御存知かと思うが、博雅といえば「シウマイ」。
         以前は横浜高島屋で販売していたが今は私の自宅の近くに店を出して店頭とネット販売のみ手がけている。
          とても美味しいシウマイなので御存知なかったら是非召し上がってみて頂きたい。


          で、この写真のお店、シウマイの博雅と何か関係があるのだろうか?と思った次第。帰って調べてみたが
         皆目わからない。確かなことはお店に食事に行って聞いてみないとわからない、というかお店で聞いてもき
         っとわからないような気がする。機会があればということにして、次に横浜の博雅について少し書いておき
         たいと思う。


          急に大正時代の話になるが、私の家内の母方の祖母が、当時すでにシウマイで有名だった「博雅亭」の経
         営者のお嬢さんと仲の良いお友達で、お店のあった伊勢佐木町などでよく一緒に遊んでいたという。そこで 
         「博雅亭」についてもう少し調べてみるとまたしても「はまれぽ.com」に詳細なレポートがあった。はま
         れぽの取材努力には本当に頭が下がる。
          今回は以下に関連箇所を引用の形で掲載させていただくことにする。『』内引用


          『さて、歴史をまとめてみると、1881(明治14)年に中国広東省出身の鮑棠(バオ・タン)氏が横浜山
         下町の外国人居留地に「博雅亭」を開店したところから始まる。その後、居留地が廃止された1899(明治
         32)年、伊勢佐木町に進出した「博雅亭」は、「焼売」の店頭販売を開始。これが日本における「焼売」
         の製造販売の最初である。

          その後、2代目の鮑博公(バオ・ボオゴン)氏が試行錯誤を重ね、1922(大正11)年に 豚肉に北海道産
         の乾燥貝柱と車海老を加えた「シウマイ」を完成させると、すぐに評判となった。
          一方で、鮑博公(バオ・ボオゴン)氏の義弟が「博雅亭」の姉妹店として野毛に「博雅茶郷(さごう)」
         を開店、「野毛博雅」と呼ばれ親しまれるようになる。「博雅茶郷」は1959(昭和34)年に横浜タカシマ
         ヤからの依頼を受けて開店と同時に出店。このときに高島屋で販売する商品のブランド名を「ヨコハマ博雅」
         とした。
          「ヨコハマ博雅」のシウマイはすぐに評判となり、横浜タカシマヤでの販売が多忙となったことから「博
         雅茶郷」の閉店 を決断。また生産量を増やすべく保土ケ谷に工場をつくり機械での生産も開始した。この
         延長線上に現在の「博雅」が存在する』

          以上掲載元リンク(CLICK)

          ということであった。つまり現在のシウマイ屋さんは分家の末ということになる。そして家内の祖母が親
         しかったのは本家2代目の鮑博公さんのお嬢さんだったのだろう。

          ところで彼女たちが17〜18歳の頃、伊勢佐木町のヲデオン座(横浜では有名な映画館だった)で映画
         を見ている時に関東大震災が起こった。ヲデオン座は倒壊を免れたが、揺れが収まって外へ出てみると見渡
         す限りの建物が綺麗さっぱり無くなって瓦礫の山のようになっていたそうだ。
          鮑博公さんのお嬢さんはその後再開された「博雅亭」の店頭で、日本髪姿で昭和40〜50年頃まで働い
         ていらしたそうで、家内も幾度かお目にかかったことがあると話していた。
          現在のシウマイも十分美味しいが、伊勢佐木町にあった本家「博雅亭」のシウマイや料理も食べてみたか
         ったなあと思う。

           シウマイが食べてみたくなった方はこちら→ 博雅ネットショップ(CLICK)


 181207em140PC070049.jpg
         <OLYMPUS OMD E-M1Ⅱ/ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO>
         隣の「夢」という中華料理店もちょっと気になるが、この日はどうしてもステーキが食べたかったので駅前
         のステーキ屋さんに急いでしまった。




         181023iphoIMG_3182.jpg
         <iPhone7plus>
         商店街キャラの「こぞうくん」




         
         <iPhone7plus>
         私はモルタル壁のクリーム色を見るとついつい写真を撮りたくなる癖がある。




         181023iphoIMG_3207.jpg
         <iPhone7plus>
         ランチに入ったステーキ屋さんに飾ってあった絵。う〜む、注意しなくては(笑)。




 181207em140PC070190.jpg
         <OLYMPUS OMD E-M1Ⅱ/ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO>
         横浜に戻って。事務所近くの妙蓮寺にて。




         181207em140PC070201.jpg
         <OLYMPUS OMD E-M1Ⅱ/ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO>
         朱色の三門前の紅葉。




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         <OLYMPUS OMD E-M1Ⅱ/ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO>





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王子稲荷、狐の行列をご存知ですか?
私は恥ずかしながら名前くらいしか知りませんでした。

王子の稲荷の近くには昔から大きな榎があって、大晦日の夜そこに数百の狐が集まって狐火を燃やし装束を改めて稲荷にお参りした、という伝承があるそうです。また近隣農家の人達はその折りの狐火の数で翌年の稲作の豊凶を占ったとか。この言い伝えを受けて20年ほど前から狐の装束を施して練り歩く催しが行われるようになったということです。
歌川広重の作品に「王子装束ゑの木大晦日之狐火」というのがあって、これがその伝承をモチーフに作られた版画ですが、色といい構図といい、一目で引きつけられる傑作です。
広重王子 歌川広重「王子装束ゑの木大晦日之狐火」



何故突然王子稲荷なのかと言いますと、京都在住の姪が昨年の大晦日の夜この狐の行列に参加してから元日の我が家に泊まりに来て写真を見せてくれたからでした。




姪と友人の狐装束です。どなたが撮影して下さったのかはわかりません。
姪は太秦で衣装係をやっていたのでこのような出で立ちはお手の物と見え、なかなか堂に入ったものです。


111231P1014370.jpg
王子駅の高架下を通過中の狐の行列。



120101KIIMG_8096.jpg
姪が忘れていった装束ゑの木の手拭。

近年では参加者も増えてなかなか盛大な催しになって来たようですね。
妖怪好きの若者も多いのだとか。
私もこういった伝承には興味がありますので一度は大晦日に訪れてみたいなと思いました。
でも蝶好きの私がこの話を聞いてまず最初に頭に浮かんだのはエノキを食樹とするゴマダラチョウの事。
数百も狐がやって来て、根元の枯れ葉の裏で越冬中のゴマダラチョウの幼虫踏まれたりしなかったのかな?

という訳で今回私の撮った写真は最後の手拭だけでした。





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9月29日、朝日新聞朝刊の切り抜きです。
もしも読んでいらっしゃらなかったら是非読んでみてください。
私は昨日からずっとこの記事の事が頭から離れず考え続けています。

 2011-9-30-1

いかがですか?
久しぶりにミステリアスなロマンに浸る事ができました。
家内に「タヌキが自転車に乗るかな?」と尋ねると、「自転車に乗った少年に化けたのよ」と言っておりました。






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          まだ私が10代の頃です。夏真っ盛りのとても暑い日でした。東横線の大倉山にある大倉山記念館(この
         当時はまだ横浜市に売却されていませんでしたから大倉精神文化研究所でした)をミノルタの2眼レフで撮
         影したことがありました。この建物、近年ではドラマや映画のロケでもよく使われるのでご存知の方も多い
         と思います。
          記念館の周囲に人影はなく、大きな異国風の建物だけがが白昼夢のように目の前にそびえ立っています。
         なんだか非現実的な世界に放り込まれてしまったような妙な気分になりました。こういう気分嫌いではない
         のですが。
          周囲の林から降り注ぐ蝉の声を聞いて日陰に涼をとりたくなった私は、建物の裏手の大きな樹のある林に
         入って行きました。するとそこで、兄弟でしょうか、3人の子供達が虫取りをしているのに出逢いました。
          その子供達があまりに可愛らしかったのでたった1枚ですが写真を撮らせてもらいました。最後の写真が
         それです。変哲もないポートレートなのですが、3人の子供の表情や仕種が大好きで、私の宝物の1枚とな
         りました。
          この子達も既にお父さんお母さん世代、一体どんなになっているのかなあと想像を巡らします。


               1975年8月9日 大倉山(横浜市港北区) Minolta Autocord NEOPAN SS
               大倉山記念館1


               大倉山記念館2


               大倉山記念館3


         大倉山記念館の子供






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          大桟橋が今の姿になる30年ほど前、1975年のことです。英国の超豪華客船「クィーン・エリザベス Ⅱ 」
         が大桟橋に寄航しました。当時52万人の見物客で溢れかえった桟橋は、いつものさびれた様子とは打って
         変わって賑やかとなり、巨大なビルディングの如きその偉容は見物に来た人々をびっくりさせたたものでし
         た。そしてクィーン・エリザベス Ⅱ が日本を離れるその日のことです。
          当時19歳だった私は、桟橋の2階の送迎デッキの中程にある、ガラスで囲われた待合室の中の椅子に腰掛
         けて、1人ぼんやり外を眺めていました。出航の日はさほど人出は多くなく、見物人は皆外に出ていました
         ので、私の周りは人っ子一人いない閑散とした状況でした。この場所だけ、一足先にいつもの退屈な桟橋の
         雰囲気が戻ってきたような、そんな雰囲気でした。
          ところが、船の汽笛が鳴り、いよいよ出航かなという頃になって、私の右手から、トレンチコート姿の美
         しい日本人女性が、ゆったりとした足取りで歩いてきました。やがて私の斜め前方で立ち止まると、私に背
         を向け、船の方を向いてじっとしています。表情は見えませんが、その仕草から、なんだか遠いところを見
         ながら思い出に浸っているような、そんな印象を受けました。
          『これは絶対訳ありかな・・・』うぶな私にもそれくらいの空想力は働いたのですが、次に起こったことは
         当時の私としてはいささかショッキングであり感動的でもありました。
          今度は左手から、濃紺の制服と制帽をまとった金髪の青年が足早にやってきて、先ほどの女性の少し手前
         で立ち止まりました。女性は、ゆっくりと90度左に向き直り、金髪の青年と向き合っています。やがて、
         どちらからともなく自然に近づいた二人は、私の目の前で抱擁を交わし唇を重ね、そして離れまし
         た。1メートル程を隔てて向き合い見つめ合う二人。数秒後、カツンと踵を合わせて姿勢を正した青年は、
         女性に向かって敬礼し、そして回れ右をすると立ち去って行きました。青年の端正な面立ちと、制服の袖に
         あしらわれた幾本もの白い線が強く脳裏に残りました。
          とうとう一言も口を開くことなく別れた二人。私の眼前で繰り広げられたロマンスに、私は正直酔いしれ
         てしまいました。
          豪華客船を背景にした舞台装置に、たった二人の俳優、そして観客は私一人だけ・・・
          そういえば、家に帰ってから母親にこの話を聞かせた時、「きっと世界中に恋人を作ってるんでしょうね」
         と言ったことも強く記憶に残っています。
          さて、その大桟橋が外国人デザイナーの手によって現在の姿になったのは2002年。けっこう評判になり、
         よく写真にも撮られたようですが、私が初めて訪れたのは 2004年の1月でした。以前の横浜が、みなとみ
         らいの開発等ですっかり様変わりして行くことに抵抗を感じていた私は、あまり新しいものに近づかないよ
         うにしていたのかもしれません。けれども実際行ってみると、この大桟橋はなかなかの作品であることがわ
         かりました。色々な点ですっかり気に入り、けっこう写真も撮りました。下の写真はその中の1枚です。年
         賀状に使ったことがあるのでご存知の方もおいでかもしれません。子供に手を差し伸べる母親の姿が印象的
         でした。


            2004年1月18日 Canon EOS 10D 24~85mm F3.5~4.5
            大桟橋2004

  





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横浜でオーダー家具のお店をやっています。このブログは仕事と関係のない日々のスナップや過去の写真、また大好きな蝶の写真を中心にアップしていきます。家具に興味のある方はリンクトップの会社ホームページにも是非遊びにいらして下さい。

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